1997年のトルコ旅行の手書き日記をここに載せてノートを捨てようプロジェクトです。
1997年9月21日(日)
体調あまりよくない。風邪。薬屋を目指すが、悲しいかな日曜日のヨーロッパ。時間をとられるが無駄に終わる。
トラムでトプカプへ。しかしトプカプのつもりで考古学博物館に入ってしまう。すぐに出る。
トプカプに入りすぐハレムの列に並ぶ。ハレムのツアーは so good. やはりガイドがいるとわかりやすい。奴隷はスレイヴマーケットから来た黒人。でもドレイという響きの割には優雅な風だった(作り物の人形では)。なぜ黒人かというと、ハレムの女たちと過ちを起こした場合、子供の色ですぐわかるから。スルタンが死ぬと黒人は全部アフリカへ送り返された、ってのはちょっと驚いた。
一緒についてきていたガードマンも暇だったらしく、色々と説明してくれた。とある部屋はオランダのデルフトのタイルでかざられている、とか。ダンスホールの解説とか。
宮殿は全体的にタイル使いが多く色彩的にとてもキレイ。でもタイルの質感がちょっと寒そう。秘宝も見たけれど、「だから?」って感じなのはロンドン塔と同じ。
再びトラムでエミノニュに行き、サバサンドを食す。小骨が多い。ただのサバの塩焼きなのでおいしいけれど感動するほどでもない。
ガラタ橋を渡る。みんな釣りをしている。ムール貝とバナナをよく売っている。
新市街から地下鉄に乗る。30円。ジュトンの使い方のわけがわからない。たったの一区間。着いたところはまるでビクトリアピークのように急こうばい。
続いてトラムでタクシム広場へ。旧市街とは大分趣が異なる。タクシム広場についたものの、ペラパラスは地下鉄の駅の辺であることに気づき、もどる。
引き返すトラムに乗る前に、ポケットティッシュ売りの少年が近づいてくる。Yが買おうと"How much?"と聞いたら、英語が全くわからないらしく、はにかんでしまう。じゃあね、と立ち去ったのだが、ずっとついてくる。で、ガイドブックの巻末の辞書を頼りに交渉。途中通りすがりの人も助け船を出したりして、ようやく30,000と判明。トラムの出発ギリギリに購入する。「これで彼も英語の必要性が身に染みてわかったでしょう」
ペラパラスのオリエンタルエキスプレスバーでお茶。ペラパラスコーヒー(トルココーヒー)をたのむ。私たちの他には西洋人が2組だけ。小さいし結構ボロい。コーヒーと共にロクムが出される。窓際にすわっていたため、通りすがりのおじさんがちょっかいを出してくる。ロクムはおいしい。コーヒーもgood.
ギリギリ間に合いそうなのでタクシーで軍事博物館へ。陳列品には目もくれず、曲がりくねった道をコンサートホールへ向かう。席についてすぐ始まるgood timing. 鈴がシャラシャラついた棒と、ラッパ、シンバル、小太鼓、それに大太鼓。私でもすぐに参加できそうな単調なメロディ。ひたすらさわがしい。7~8曲あったが全部同じにきこえる。なんせメロディメーカーはラッパしかないのだから。でも、おもしろかった。あのうるさい音の中、少し眠ったけれども。
軍事博物館を出て、再びタクシーでエミノニュへ。トラムでKENT HOTEL まで戻る。荷物を受け取り歩いてハマムへ。
ハマム!料金を払い中へ。つっかけと体にまく布をその辺から調達する。せまいロッカールームで服を脱ぎ、布をまく。眼鏡をはずしてしまったので、何も見えなくなる。ロッカールームの次の間は、三助おばさんたちの休憩所で、とにかく中に入れというようなことを言われる。ハマムの中は中央にプラットフォームがしつらえてあり、それを囲む花びらのように洗うための小室がもうけられている。
プラットフォームに横になりたかったが、先客が多いのであきらめ、洗い場のフチに腰かけて待つ。水着と靴下を着用しているグループもいる。Mの仕入れた情報によると「おばさんたちは今tea timeだからヤル気ないのよ」と。大分待たされ、おばさん登場。理由はわからないがYが1番に指名される。それもおそらく一番立派な体格のおばちゃんに。彼女たちはみな黒ビキニをはいている。見事なものである。トップバッターのYにみなの目が集中。かなりズサンなやり方。瞬く間に終わる。そして私。とてもくすぐったかった。足の先の方とかは気持ちよかったけれど。体をおこして手と肩をやってもらうときは、おばちゃんの巨乳が目の前でこわかった。そして洗い場で頭と顔を一緒にシャンプーで洗われる。もうボロボロ。面白かったけどもう行かないな。おばさん登場前の電気が消えた段階は大分風情があってよかったけど。マッサージなしでぼーっとするのはいいかもしれない。
ハマムを出て夕食。昨日目星をつけてた店へ。薄焼きピザのようなものを食す。まぁこんなもんかな、というレベル。途中楽隊がやってきてチップを要求されたのには閉口。
外に出て焼き栗を購入。公園のベンチで食べる。寒くなってきたのでエージェントに向かう。
もうすでにコモドーロエージェンシーは無人で、その前に同じツアーの参加者と思われるアメリカ人がいる。カッパドキアへ行くのかとたずねる人がいたのでツアー関係者かと思いきや、隣のカーペット屋のおじさん。どこからともなく現れた人につれられバスへ向かう。バスの席が指定かどうかでひとモメ。1人これはシャトルバスなのだと言い張る米人がいたのだが、そこに、ここまで自分はシャトルで来たのだと主張する人も来てカンカンガクガク。結局指定通り座りなおすのに結構時間がかかる。
8:30出発。Mは隣人と交際交流。私とYの前の列のオーストリア人(推定)に、プルオーバーとロングシャツの違いは何かと問われ、ひとしきり盛り上がる。ジェラールとフェリックスと名付けた2人はいくつくらいだろうか、ずっとバカ騒ぎをしていて怒られたりしていた。
2度ほどのトイレストップを経てようやくカッパドキア着。