1997年のトルコ旅行の手書き日記をここに載せてノートを捨てようプロジェクトです。
1997年9月19日(金)
5時半起床。天気予報をチェック。鉄道各線は平常通り運行で一安心。日暮里に行ってみたら、スカイライナーに空席があったので9号に乗る。TVの気象情報のBGMだったPOLICEがずっと頭の中でまわっていた。
南ウィングのHISカウンターは長蛇の列。おまけに遅々として進まず。結局小一時間かかりcheck in。出国手続もスムーズに終わり、まもなく機内へ。11:25発の予定が11:45頃離陸。30分ほど爆睡する。
食事はイマイチ。和食か洋食のチョイス。ルフトなどに比べて大分軽い感じ。BAの方がおいしかった。
まだ「トルコ」へ行くのだという実感はわかない。私ここで何してるんだろうって感じ。でも外は快晴で、多少気分はよい。
1本目の映画(The Saint)見ずに眠る。
2本目の映画(101匹ワンちゃん)の始まりと共に2度目の食事。今度は和食ではなく洋食をチョイス。メインはラビオリ。Yの和食はカレー。ついでに書くと1回目のメニューは和食がてんむす+玉子焼+かまぼこetc、洋食は肉 mit Nudeln. それに双方共に寿司がついていた(スモークマグロ&カンピョウだ)。食後やはり眠くなり、映画途中で眠る。
結局、「食っちゃ寝」+おしゃべりで23時(蘭16時)スキポール着。気温は17度らしい。快晴。風邪のせいか気圧の変化に耐えられず、着陸後も右耳の様子がおかしい。自分の声が頭の中にひびく。鼓膜がやぶれやしないかと多少心配。
スキポールを端から見て歩く。キレイで近代的。雰囲気も良いが思ったほど大きくはない。次々と免税店を見たが、買いたいものはなし。ヒットだったのがBOSSのネクタイ。白地にレモン。紺地にレモン。黒地にレモン。白地に小レモンが散っているもの、とレモンシリーズはかなりのインパクトがあった。
カフェでエスプレッソを飲み(支払いは米ドルで)、丁度よい時間となった。19:25離陸の予定が結局大分遅れて19:55位。日本時間では午前3時だ。普通金曜日それくらいまで起きているにしてもそろそろ疲れが出始める。
長い金曜日はまだ終わらない。食事が配られ始めている。現在日本時間午前3時半。もうこのまま眠らずにいる方が時差対策には良いかもしれない。再び上空にあがることで耳が正常に戻ることを期待したが、時々痛いだけで駄目みたい。やばい気がする…。
食事は前2食に比べれば、よかった。チキンに豆、人参、じゃがいもの付け合わせ。カレーマスタードソース。それに米にもやしやピーマンのまじったもの。少しねばり気があって怪しい。おいしかったけど。
出発は遅れたものの、定刻通り11:50にアタテュルク空港着。日本時間朝5:50。時差は6時間。入国審査のおじさんは非常に目付が悪く、一言も発しない。質問もなし。まるで犯罪者か何かのようにジロジロみられる。私に続いたYも同じような態度でやられたらしいが、何が原因か、それに続いたMは笑顔で「コンニチハ」と言われたそうな。差別だ!荷物を待つ間に郵便局で両替。その後リコンファームをしようと2Fのカウンターに行ったが無人の為断念。1Fは客引きだか現地ガイドだか出迎えの知合か知らないが人であふれていたので、2Fの出発ロビー(夜明かし組が結構いそうで安心した)から外に出てtaxiを拾った。ホテルまでは約20分。街並はやはりヨーロッパ。ただし、ギリシャな感じも多少ある。でもギリシャよりはよほど整然としている。夜更かしな人が多いらしく、人も結構歩いている。ただし男性ばかり。ビルの2F3Fまでショーウィンドウになっていて、古びたマネキンが間隔をあけずにビッチリと置かれている様子は少しこわい。
KENT HOTEL はなかなかgood. 2人はシャワーせずに寝るというので、私はゆっくりと湯舟につかった。で、片付をして今これを書いている次第。2:25だからそろそろ寝なきゃ。明日は9時起床の予定。
1997年9月20日(土)
朝8:30起床。くもっている。窓から外を眺めると、みんなかなりの厚着をしているので心配になる。
9:15朝食に。朝食はパン数種・トマト・キュウリ・ハム・チーズ・スイカ・ブドウ・シリアル・ヨーグルト・卵など。ジュースはオレンジとチェリー。どちらも100%にあらず。パンはそれ程おいしくない。羊の白チーズは塩分が強すぎる。ふつうのチーズはgood.
外に出て、ブルーモスク方面(とおぼしき)方向へ歩く。Yが両替をしている間に水を買う。方向に自信がないので立ち止まっていたら、流ちょうな日本語で「どこに行くんですか」とたずねられ、話すうちに旅行社に同行することに。旅行社でカッパドキアツアーをたのむ。飛行機にしたかったが都合がつかず、結局往復共バスになる。ドイツ語のヒアリングは何とかできるようなので自分に安心する。でも話せない。「ネゴなきところに道は開けず」
その後ブルーモスクに行こうとしたら(自称ニックネーム)田中君が「今は祈りの時間だから」と。それならとアヤソフィアに行こうとすると「1時から2Fのギャラリーがopenするから」で結局地下宮殿に行こうとしたら、その前に知合の店を紹介すると言われ、皿etcの店へ。その親父がくせ者で早々に退散。
今度こそ地下宮殿へ、と思ったら、田中君がしつこく茶を飲もうと言う。一緒に茶を飲み、お菓子を食べると、40年友達なんだそうで。それをどうにか振り切って地下宮殿へ。
地下宮殿。水はあるけど湿気はない。何故かカンツォーネのような曲が鳴り響いている。wish pool に幸せを祈ってメデューサをみて終わり。
次にアヤソフィアへ。ボロボロ。修復中。何となく落ち着かない空間。大きければいいというものではない。モザイク画も特にすごいとは思わない。
メゼの並んだよさそうな店があったが、田中君によると「この辺の店はだめ。あれは全部昨日作ったもの」ということなので避けて裏の方へ。大分さがしまわってようやく入ったところでお昼。2時頃なので終わっているメニューもあった。英語すらほとんど通じないジモティの店。シシカバブとアイラン。アイランはsalty. 塩分過多でどうにかなりそうなので残す。
ブルーモスクへ。キレイ。でも椅子がないとやはり落ち着かない。じゅうたんもいいけれど。許されるものなら座り込んでくつろぎたかったが、残念ながらそれは禁じられている。アヤソフィアとの対比もあって、ずいぶんキレイにみえる。ステンドグラスやアラベスク文様が美しい。
グランドバザールへ。ただ見るということが出来ない(すぐ声をかけられる)のでゆっくりできない。雰囲気だけ味わって通り抜けムスルバザールへ。グランバザールよりかなり庶民的。その後エミノニュに出、ガラタ橋の辺りをながめ、トラムでブルーモスク前まで移動。エージェントに行ってバスのチケットをもらう。Hotel方向に歩いていたら、何だかわからない所があったので、とりあえず入ってみた。どうも墓地のようなのだが、よくわからない。その奥にカフェがあったのでりんご茶をのむ。甘いけど、とてもおいしい。そこで明日のスケジュールをにつめる。
Hotel手前に菓子屋が密集しているところがあり、とりあえずロクムを1ハコ買う。バクラワのつめあわせも3人で買う。
Hotelで試食。激甘。食欲を失わせる。それでも夕食に出かける。Hotel近くには手頃なところがみつからず、てきとうに、ぶどうの葉のピラウとiskender kebabとチキンを食べる。
シャワーを浴び、ハガキを書き、現在23:38。少々トルコの感想などを。
まず、何でみんなあんなに日本語上手いかなぁ。今まで中国人の日本語が一番だと思ってたけど、全然違う。圧倒的な差でトルコ人の勝ち。硬軟とりまぜとても「普通」な会話をする。ドイツ語を話す人も多いけれど、ドイツ人はたいてい英語を解するから日本語の方がマーケットとしては良いんだろうな。寄ってくる人間は多いけれど、心からの親切なのか、下心付なのか、判別が難しい。田中君はいい人だったけど。いい人だからって付き合っていては無尽蔵に時間を奪われてしまう。「5分だけ。一緒にお茶をのむと40年友達」というのを振り切るのは骨が折れる。
日本人だとわかるとよく言われるのが「私はここにいます」というもの。字義通りとは思えない。一体彼らはこのフレーズをどういう意味だと思い込んでいるのか。あと多いのが"May I ask you one question?"というもの。"No!"と言うことにしてるので、もしYesと言ったなら一体どういう質問が来るのかちょっと気になる。
街行く人はジモティかどうか、ちょっと見じゃ判別がつかない。「濃い」系の顔立ちの人はわかるけれど、結構西洋人タイプも多いのだ。でも女性はよくわかる。長いコート(のようなもの)を着て、頭をおおっているから。ムスルバザール付近では買物してる女性の姿をよく見かけた。
食べ物。全部食べるわけにいかないのがとても残念。よく見かけたのが、焼き栗・とうもろこし(ゆでor焼き)・シミット・ただのアイス・ドルマンドといったところ。水売りも見た。チャイハネって典型的なものはまだ見ていない。トルココーヒーもまだだし。ピラウもちゃんとしたのはまだだし、おいしいパンにもめぐりあってない。シーフードも。ああ日数が足りない。バクラワはもういらないけれど。
スーパーマーケット、見かけない。果物屋はあったけど、かなり傷んだ品を売ってるのでどうも食指は動かない。
ハエはあまりいない。ドイツよりは少ない。
ブルーモスクはさすがにキレイだったけど、やっぱりあまりそそられない。私は教会の方が好きみたい。モスクって外見もあまりそそらない。そういえばコーランもあまり聞いてない。
海外旅行はいつも1日目が一番たのしい。目の前に無限の楽しみが広がっている気分になる。今回もそう。朝は天気が心配だったけれど、一日中上着を着たり脱いだりする程度の暖かさで、公園で風などが吹くと無上の喜び、極上のさわやかさ、と言う感じ。ただ日が暮れてくると、街灯が少ないのかどうも暗い感じになってちょっと嫌だった。アテネの夜に似ている。本格的に暗くなれば、逆に商店の灯が輝いてまた雰囲気も違うけれど。本当にみんな宵っぱり。8時すぎても店は開いているし、在庫整理とか、そうじとか、みんな働いている。血族で経営してるからそうなるんじゃないだろうか。なんとなくそういう気がする。
物乞いも多い。子供を抱えて微動だにしない女性は少し怖かった。
明日はトプカプ、ハマム、軍事博物館、そして夜バスでカッパドキアへ。
耳は正常にもどったけれど、まだ風邪がひどい。リンパもふくらんでるし、鼻炎がなおらない。
明日もいい日でありますように。