おひとり様のちょっとしたこと

アラフィフ独女のよしなしごとです

【過去旅行記:卒13】1996欧州周遊

1996年の卒業旅行の手書き日記をここに載せてノートを捨てようプロジェクトです。

1996年3月7日(木)

 7:00起床。9:00買物に出かけ、駅前でちょっとしたものを買う。

 10:30ロビー集合で空港へ。解散後朝買ったサンドイッチ(Roasted Turkey and Bacon with Tomats and Onion Mayonese, P95)を食べ、買物。さすがにもう免税店もあきた。

 機内に入るや否や眠る。約1時間後ジュースとピーナッツをいただき、映画を見始める。"Nick of Time”

 最終的な決裂は免れているのではないかと思う。私自身も決定打が打てずにいるから。心の中ではもう見切りをつけているのに、表面上はコトをあらだてないなんて。

 "Nick of Time”はどってことなかった。ジョニーデップがちょっと今までと違ってマトモな役をやってるだけで、ハラハラするってもんでもないし、第一設定にリアリティがなさすぎる。

 昨日の夜久々に現実を直視して「帰りたくない」と思った。日本に帰るのはいいけれど、あとひと月もせずに始まる新しい生活のことを考えると気が重い。

 人生に「楽さ」を求めるという考えには納得がいかない。楽にこしたことはないだろうけど、精神世界なしには生きていけない。これほどまでに価値観が違っても一緒に何かを「やる」ということがない限り何の問題もなかったのだ。無責任に相手を面白がっていられたのだから。

 5時前に機内食。久々につけものなど食べてしまった。レモンパイもso good.それから少し眠るが眠りきれず。

 リフレッシュメントを食べる。アイスバー、おかき、そしてビスケットは持ち帰る。カップラーメンまである。水のみすぎ。窓側の席でトイレに行きにくいので困る。34列のABCだけイヤホンが壊れているそうでもめる。そこまでする情熱がすごい。世のなきはゴネ徳というのが確実に存在する。私は故障は故障として受け入れますけどね。

 問題はどこまで我慢すべきか、ということだろう。私は自分に被害が及ばない限り、案外他人のワガママに寛容だ。しかし一度害が自分に及ぶとなれば、黙っていられない。基本的に成立しているはずのgive & takeが破られたり、concensusが無視されるのは納得できない。権利の主張。

 彼女の場合権利の主張が私と同じく強いので、お互いのテリトリーを侵犯しない限り上手くいくのではないかというのが私の当初の読みだったのだが、どうも違っていたようだ。もしかすると彼女は私にある程度心を許しているのかもしれない。だからこそ「1人の方がいい」ではなく「1人じゃなきゃ絶対嫌だ」というような強い表現で、私から見れば私をも排斥するようなセリフすら簡単に口にできるのかもしれない。

 でもだからって、許せるものと許せないものがあるじゃないか。2人で一緒に旅してて、相手が突然いなくなったら驚くでしょうが。最初にそういう態度に出られたとき、私の方から「探しちゃったじゃない。どこかへ行くときは言ってよ」と言うべきだったかもしれない。でも私の相手の思惑をくんでしまう性格では、彼女が「別にどこにいこうと自由だ」と思っているのに自分の意見をおしつけるよりは合わせてしまう方がラクだと思ったのだ。結果全然ラクじゃなかったけど。おまけにバスでも1人ですわる方がいいっていうじゃない。それにあんまりおしゃべりは好きじゃないとも言ったよね。ここまで言われたら共に行動する意味などどこにもない。おしゃべりなんて無意味に満ちているものなのだ。必要なコトバしか交わさないというならば、話す必要はほとんどない。ホント後半は彼女から面白く話しやすいネタで話しかけてこない限りこの私が(!)ずーっと黙ってたもんね。

 で、いっそのこと部屋をシェアするだけで行動はFreeってことにしたらどうかとずっと思ってたんだけど、彼女にそのつもりは全くなかったようだ。その辺がなー、またまた嫌なのよね。London最終日でも結局私の意見を飲んだじゃない。だから、彼女は、心の底では他人に合わせたくなどないと強く思ってて、でもいつも実行できずにいるのではないかとも思う。で、私には本心の方をしゃべってしまっているのに、行動の方は建前の方と本心が入り乱れているというところが問題なのだ。

 本心を語っていいのは偽らなくていい相手。建前で接している相手日本新を言ってどーするんだよ。

 「他人に合わせる」ということ以前に、彼女のchoiceの基準は「観光地ならどれでもいい」ということであったかもしれない。美術館でも建築物でも。その貪欲さが嫌。何でも写真におさめようとする精神が嫌。そのことで他人に迷惑をかけても感謝のコトバひとつないズブトサも嫌。

 あー筆がすべってる。よっぽどたまってるな、私。

 あと正直なことを言ってしまえば、彼女は私のコンプレックスを刺激するのだな。私がretireしてしまった語学を職業にしていくというのに、それほどエキスパートではない点(つまり私はエキスパートではないという自覚から語学プロへの道を放り出したのに、ということ)、また、教師なんてそれでいいと思っている点、どうも私の神経を刺激する。

 パリが一番寒かった。あまり晴れることはないようだった。

 ロンドンもずっとくもっていた。その方がらしいけれど。

 ロンドンの地下鉄はTubeの名ピッタリにまるっこい。自動ドアと押ボタン式。のりかえがとっても遠い!もう少し気を遣えばいいのに。そして道路もRound Aboutが多く、くるくる回っている。Subwayが多い、ということはつまり、信号や横断歩道が多い。でも車がつっこんでくることはない。駅の切符売場は本当にキューができている。Fish & Chipsの屋台をついぞ見つけられず、食べられなかったのが残念。

 スーパーについて。アテネ。見当たらず。小売店全盛の街らしい。ローマ。ホテルのそばにあった。あまり印象ないけど普通の大型店だった。マドリ。近所のスーパーは小さかった。鉄棒を組んだような棚にけっこう無造作にモノがおかれていた。パリ(オーシャン)。ただ広い。棚一面チーズ!とかミルク!とかだもん。でもけっこう汚い。水のコーナーだとエヴィアンとかコントレックスがガンガン積んであって、ミニサイズの6本セットもあるんだけど、みんなそのセットを自分でやぶいて必要な本数だけもっていく。1Lボトルもうれすじのものはみんな棚の奥の段ボールをビリビリ破いてとりだしていた。個人主義のフランスっぽい。そしてロンドン。とってもキレイだった。おそうざいも多いし。

 ロンドンは地図を広げて考えてたりすると助けてくれる人が多かった。3~4人いたかな。この辺はドイツと同じ。でもドイツよりにこやか。他の都市は誰も助けてくれなかった。

 今回の旅行程日本人だらけだったのはめずらしいかも。どこへ行っても、日本人。私も日本人だから他人のことをどうこう言えるギリはないが、これは多分に、旅行スタイルの問題であろうと思う。

 話をもどす。ただの「知り合い」が相手なら余程のことがない限り、譲歩はできる。しかし「知り合い」の範ちゅうから一歩でも深く進もうと思ったら、譲りあいばかりはしていられない。「知り合い」から先の領域にこそ初めて好き嫌いが生じ得るのだと思う。とはいえ私は案外first impressionから好き嫌いの二分法を用いていたりするけれど。私のfirst impressionはよくはずれますからね。

 私は案外封建的な思想の持主なのだろう。「分」とか「枠」にこだわる。

 今9:15。到着が2:20AM(UK)予定なので半分はすぎた。

 ゴネゴネの彼女のおかげでおわびにビジネスクラスのポーチをもらった。あと読むものもくれるというので朝日新聞をもらってじっくり読んだ。

 今11:00。ちょっと前(30分位)から外がイッキにどんどん明るくなってきた。東へ向かってるから。ちょとねといた方がいいかしら。

 ほんの10分程度ウトウトしたら朝食。1:00すぎ。夜中だけど朝。

 定刻通り11:20(2:20)成田着。雨。霧にけむっている。気温3℃ときいてビックリ。

 スーツケース宅配の手配をする。スーツケースにキレツが入っていた。困ったもんだ。リムジンバスで東京駅まで。12:25成田着。東京着が13:45。14:00のひかりで15:52名古屋着。新幹線では乗ってすぐ50分ほどバク睡。

 いよいよ現実にcome backだ。見慣れた風景の中にもどってみると、異国で過ごした2週間あまりのことなど、なかったことのように思えてくる。

 彼女との関係は、決定的なハメツはむかえないまま表面用続いていくだろう。

 そして私はこの旅行の体験を話しまくり、いつしか再び機上の人となると思う。

 毎回何を得るわけでもないけれど、そして実際旅してみると面倒なことの方が多いけれど、それでも、旅には何か人をひきつけるものがあると思うから。

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