おひとり様のちょっとしたこと

アラフィフ独女のよしなしごとです

【過去旅行記:卒07】1996欧州周遊

1996年の卒業旅行の手書き日記をここに載せてノートを捨てようプロジェクトです。

1996年2月27日(火)

 5:45起床。7時出発。ウフィツィ美術館に7:20頃から並び朝食。9:00入館。ダヴィンチ、ミケランジェロラファエロ、ウッツェルロ等を見る。10:30頃バスで出発。12:30お昼。セルフサービスでほうれん草のラザニアとフルーツを食べる。

 3時頃ホテル着。再出発し、ヴァポレットでリカルトへ。サンマルコ寺院とドゥカーレ宮殿を見る。その後ムラノグラスの工房へ行き、6:00からゴンドラに20分ほど乗る。ちょうど日が暮れてきてあやしいムード。そこで一旦解散し、7:30集合で食事へ。

 イカスミスパゲティ、イカとエビのフライ、グリーンサラダ、レモンシャーベット、ワインと水でL.40000。成城で明和地所の子と、筑波で法律事務所の子と、ムサシ経済の子と同テーブル。ワインを3杯ものんでホロよい。ヴァポレットでホテルについたのが10:00頃。結局全然買い物できなかったなー。1人の方が買いやすい。

 

ウフィツィ美術館に並びながら食べた茶色い紙袋に入ったお弁当。人により入っていたフルーツが異なっていたりして、「みんな同じ」じゃないところも外国らしいと思った記憶。ムラノグラスの工房は、「ご厚意で(?)ゴンドラに乗せてもらうので買うものなくてもお店の中みてあげて」的なことをツアコンに言われた記憶があります。

 

1996年2月28日(水)

 6:20起床。7:15食事。今朝は少しゴーカ。ビュッフェでゆで卵、シリアルも有。8:30頃バスにて出発。

 Yとの関係はどうなるのだろう。私にとっては「友達」ではない。「知り合い」よりは親しいと思うけど。覚悟を決めてかなり冷たくしている。「あれなーに?」「なんで~なの?」って何でも私に聞くなっつーの。自分で考えろ。英語教師になるくせに、メニューのチーズオムレツも読めないなんてひどすぎないか?1人の方がラクでいいとしきりに言うので「じゃ1人で旅行すればいいのに」って言ってやったら「1人だと高いから」だって。「でもそんなにこだわるなら、ちょっとくらい高くてもそうすればよかったのに」となおも言いつのると、「お金ができたらそうする」ってさ。要するに私は旅費節約の為に利用されているのだ。私も1人旅をする勇気がなく彼女を利用していうんだからお互い様だ。でも彼女はプライベート云々というわりに、抜けているし、自分のことも自分でできていない。いつも"Il conto, per favore”って言うのも私だし。いいんだけどね、今のところ、楽しいから。1人旅への準備だ。ヨーロッパなら私も1人で歩ける気がする。ある程度システムもわかるし、でもでもやっぱ彼女の「なんで~なの?」攻撃は腹立つなぁ。最初はきちんと答えてたけど、今後は「さぁ」「私に聞かれても」とそっけなく言うことにした。

 1度の休憩をはさみミラノ入り。まずサンタマリアデレグラツィエ教会で最後の晩サンを見た。現在も修復が続けられている。ユダの部分が暗くてよくわからなかった。「ジーザスクライストスーパースター」の影響もあるけれど、やはりドラマチックな場面だと思う。全てを知るキリストとユダ、キリストの発言に動揺する他の使徒。空気がざわめいているのが伝わってくるようだった。

 その後スフォルツェスコ城を軽く見学しホテルへ。ホテルIBISはレパブリカ駅から徒歩5分。

 地下鉄でドゥオモに行き見物。やはり私の感性に合う。ステンドグラスがとても美しい。私はこの位のサイズの自分で把握できるものが好きなんだと再認識。人々が自由に椅子にすわれるのもStephansと一緒でgut. 地下にも行ったがわけがわからなかった。その後スカラ座を見て、ヴィットーリオエマヌエーレⅡのガラリエを通り、ドゥオモへ。その前はラリナシェンテを見た。高かった。ドゥオモ周辺で食事しようとしたが見つからず、地下鉄でレパブリカへ。しかしホテル周辺にも食べるところはなく仕方なく絶食。おかしでまぎらわす。

IBIS CENTRO, Via Zarotto, 8-20124, Milano

ドイツ語圏が近いだけあって、ドイツ語のTVを見た。