夜の散歩中にふと、そういえば最近お祈りしていないなと思いました。
私は幼稚園と中学高校がカトリック系だったこともあり、仏教よりは断然キリスト教になじみはあるのですが、別に信者ではありません。
ただ幼少期から刷り込まれただけあって、若い頃は何かあると「天にましますわれらの父よ」や「めでたし聖寵充ち満てるマリア」なんかを唱えていました。
少なくとも大学入試の頃は祈っていたし、氷河期時代の就職活動でも祈っていた気がします。
多分祈らなくなったのは働くようになってから。自分で働いて稼いで暮らしていける中で、精神的に宗教に支柱を求める必要はなかったと言うことなのだと思います。恵まれていたと言えるかもしれません。
宗教を問われれば無神論者と答えるよりないですが、文化によっては無神論者はかなり異質に見られることも理解しています。昔アメリカ人の英会話講師も「僕は無神論者だけどアメリカでは面倒だから親の宗教であるユダヤ教だと言っている」て言ってたし。
無神論者とは言っても、何かの存在を信じていないわけでは無いのです。何か偉大な世界を統べるモノ、はあるのではないかなぁと。ただ唯一神って言う感じではないですね。八百万の神々の方がしっくりくるかもしれません。
これから歳をとって、また祈りたくなるタイミングが来るのかもしれない。なんとなくそんなことを思いました。